
シャッターを押すとき、心のどこかで、こんな気持ちがよぎることはありませんか。
「この瞬間だけは、どこかに残しておきたい」
これを家族写真やウェディングの現場で、依頼者の目線で見たとき、「残したい」の中には、次の3つの想いが静かに混ざり合っています。
- 誰かを想う気持ち
- 自分を確かめたい気持ち
- 未来の誰かに見せたい・渡したい気持ち
今回は、僕がフォトグラファーとして「今」とどう向き合い、依頼者の「残したい」にどう寄り添っているのか。
家族写真・ウェディング写真を中心に、“写真が持つ意味”を丁寧に言葉にしてみたいと思います。
人はなぜ「今」を残したいと思うのか
ここではまず、写真を撮りたくなる根っこの部分を掘り下げます。結論から言うと、写真は「いま」を保存するためだけではなく、未来へ気持ちを送るための手段でもあるからです。
写真とは未来への贈り物です
写真とは、未来の誰かに向けて手渡す“贈り物”です。
写真を撮るとき、目の前にいるのは「今の誰か」。でも、写真を見るのはたいてい「未来の誰か」だったりします。
- 数ヶ月後の自分が
- 数年後の家族が
- まだ生まれていない子どもたちが
- いつか、この世界にはいない誰かを想いながら
僕はシャッターを切るたびに、「これは未来へ向けた、小さな贈り物なんじゃないか」と
目の前で笑っている二人は、いまは当たり前のように隣にいる。
でも、時間や距離は必ず少しずつ形を変えていきます。
家族の形も、住む場所も、呼び方も、顔つきも変わっていく。
その変化を、ただ“流れていくもの”として見送るのか。
それとも、一つひとつ丁寧に包んで写真という形で未来に届けるのか。
写真は、後者を選ぶための手段なのだと僕は思っています。
今という瞬間を永遠に閉じ込めたいという願い
写真の中では、時間が止まっています。
風の音も、笑い声も、温度も写っていないはずなのに、写真を見ると、そのときの“すべて”が戻ってくることがある。
- 子どもが初めて立った日の、床の冷たさ
- 結婚式の朝、少し震えた手の感触
- 実家のリビングに射し込んでいた午後の光
それらを「永遠に閉じ込めたい」と願うように、人はカメラやスマホを手に取るのだと思います。
僕がシャッターを押すときも、ただ「きれいに写せればいい」とは考えていません。
「この瞬間の空気ごと、ちゃんと閉じ込められているか?」という事です。
写真の価値は、被写体の美しさだけではなく、そこに漂う感情や関係性まで写り込んだときに立ち上がる。僕はそう信じています。
「一生の宝物になる瞬間」を残そうとする本能
人は誰でも、自分の人生の中に「一生の宝物」と呼べる瞬間を持っています。
それは必ずしも派手な出来事じゃありません。
- 何気ない日曜日の朝ごはん
- 子どもがふざけながら抱きついてくる一瞬
- 結婚式のあと、二人だけでそっと顔を見合わせた瞬間
こういう“小さな瞬間”が、後から振り返ると大きな意味を持っていることがある。
写真を残したいという気持ちは、言い換えれば、「自分の宝物の瞬間が何かを、ちゃんと分かっている」ということでもあります。
僕はフォトグラファーとして、その人たちの「一生の宝物になる瞬間」を見逃さないように、呼吸を合わせながら撮影しています。

記憶とアイデンティティ|自分が“自分”であり続けるための写真
この章では、写真が「記憶」だけでなく「自分らしさ(アイデンティティ)」にも関わっていることを掘り下げます。写真は、人生の輪郭を確かめるための“鏡”にもなり得ます。
記憶の積み重ねが「自分らしさ」をつくる
僕たちは、過去の記憶の積み重ねで「自分」を形作っています。
- どんな家族に育てられたか
- どんな友人と笑ってきたか
- どんな選択をして、どんな景色を見てきたか
それらがつながって、「自分らしさ」が生まれます。
そのなかで写真は、とても具体的で、手触りのある“証拠”です。
「自分はこんなふうに笑うんだ」
「こんな顔で泣いていたんだ」
写真を見ることで、自分でも気づいていなかった“自分らしさ”に出会うことがあります。
家族写真やウェディング写真をお渡しした後、「自分ってこんな表情をするんですね」と少し照れくさそうに笑う方がいる。あの瞬間、写真は「記録」から、アイデンティティを照らす“鏡”に変わるんだと思います。
写真は「過去の自分」と「今の自分」をつなぐ架け橋
時間が経って写真を見ると、そこに写っている自分は「過去の自分」です。
- 不安そうな顔をしている新郎
- うまく笑えなくてぎこちないお父さん
- まだ少しあどけない、大人びたい年頃のお子さん
当時は必死で、「ちゃんとできているかな?」と心配しながら迎えた日だったかもしれません。
でも数年後、その写真を見る自分は、少し違う場所に立っている。
「ああ、あの頃の自分、ちゃんと頑張ってたな」
「このときのお父さん、こんな顔で見守ってくれていたんだ」
過去の自分と今の自分が、写真を通して静かに会話をする。
写真は、その“橋渡し役”になるのだと感じています。
忘れないためだけでなく、“忘れてもいいように”残すという視点
人は「忘れないように」写真を撮ると思われがちです。
でも僕は、少し違う感覚も持っています。
写真を残すのは——
「忘れてしまっても大丈夫なように残しておく」
そんな優しさに近い行為なのではないでしょうか。
忙しい日々の中で、すべての出来事を鮮明に覚えておくことはできません。
それは悪いことではなく、自然なことです。
写真があれば、ふとした瞬間に引き出しから取り出して、忘れていたはずの光景や感情に触れ直すことができる。
「覚えていなきゃいけない」というプレッシャーから解放してくれる。
写真には、そんな役割もあるのではないかと思っています。

人はなぜ“忘れたくない・忘れられたくない”のか
ここでは、「残したい」という気持ちのさらに奥にある、人間らしい欲求を言葉にしていきます。家族写真やウェディング写真の相談の場で、僕がよく感じる共通点でもあります。
大切な人・時間・場所を忘れたくないという気持ち
家族写真やウェディングの撮影相談を受けるとき、言葉になっていなくても共通して感じる空気があります。
それは——
- 「この時間を、ちゃんと大切に残したい」という気持ち。
- 子どもの成長はあっという間だから
- 親が元気なうちに撮っておきたいから
- このメンバーで集まれるのは、もうそう多くないから
理由はさまざまですが、根底にあるのは「忘れたくない」という想いのように感じます。
撮影中、僕はシャッターを切りながら、その人にとっての「大切なものはどこか」を探し続けています。
目に見える主役だけじゃなく、ふとした視線や、手の位置や、間(ま)。そういうところに“その家族らしさ”が出るからです。
誰かの記憶の中に“生き続けたい”という欲求
一方で、人には「忘れられたくない」という気持ちもあります。
それは、派手な承認欲求とは少し違う、もっと小さくて人間らしい願いです。
- 子どもたちに、自分がどんな親だったか覚えていてほしい
- パートナーに、「一緒に生きた時間」を心のどこかに残してほしい
- いつか離れて暮らす家族に、思い出すきっかけを残しておきたい
写真は「私はここにいたよ」という小さなメッセージカードのようなものかもしれません。
受け取る相手は、未来の誰か。だからこそ、写真は時を越えて効いてくるんだと思います。
写真が「存在の証拠」になる瞬間
誰かを失ったあと、その人の写真を見返した経験がある方も多いと思います。
写真を見ながら、「本当にここにいたんだな」と、当たり前の事実が胸の奥からじんわり立ち上がってくる。
その瞬間、写真は「存在の証拠」として力を発揮します。
僕が撮影した写真が、いつか誰かにとってその役割を果たすかもしれない。
そう考えると、シャッターを押す指先に、自然と慎重さと優しさが宿ります。

家族写真・ウェディング写真が持つ“未来”への役割
この章では、家族写真や結婚式の写真が「今のため」だけでは終わらない理由を整理します。写真は“いまの記念”でありながら、“未来の支え”にもなるからです。
まだ出会っていない誰かのための写真
家族写真・ウェディング写真とは、未来の誰かのために残す写真です。
それは、いま目の前にいる人のためだけのものではありません。
- まだ生まれていない子ども
- 未来の自分たち
- いつか写真を手に取る孫や、その先の世代
将来、子どもがこんなふうに言うかもしれない。
「パパとママの結婚式の写真、見せて?」
「小さいころの家族写真、もっと見たい」
そのとき「ちゃんと残しておいてよかった」と、未来の自分が思ってくれるはずです。
僕は撮影現場に立つとき、少し先の未来にいる“まだ見ぬ誰か”の存在を、心の片隅に置きながら撮っています。
人生の節目を未来から振り返るための記録
結婚、出産、七五三、入学、成人、還暦。
人生にはいくつもの節目があります。
撮影当日は「今日」という一点に集中している。
でも写真が本当の意味を持つのは、その日から何年も経ったあとです。
- 夫婦が10年目の記念日に結婚式の写真を見返す
- 大人になった子どもが七五三の写真を見て笑う
- 家族が集まったとき、昔の集合写真をテーブルに広げる
その瞬間、写真は「通過点」ではなく、人生を振り返るための“大事なピン留め”になります。
僕は、未来から見返されることを前提に、構図や表情を選んでいます。
「この写真を、未来の自分たちはどんな気持ちで見るだろう?」
そう想像しながらシャッターを切ると、写真に自然と奥行きが生まれていきます。
家族写真が世代を超えて受け継がれていく理由
古いアルバムを開くと、自分が生まれる前の家族写真が出てくることがあると思います。
- 若い頃のおじいちゃん、おばあちゃん
- まだパパやママじゃなかった頃の両親
- 自分の知らない時代の家族の姿
それらを見ていると、「自分はこの人たちの物語の続きなんだ」という感覚が生まれる。
家族写真が世代を超えて受け継がれていくのは、写真そのものの価値というより、写真を通して“物語”が伝わっていくからだと僕は感じます。
その物語の1ページを任されている。
家族写真やウェディング写真を撮るということは、責任と喜びを同時に引き受けることでもある。僕はそう思っています。

喪失と向き合うための写真|遺影・故人の写真の意味
ここでは少し、写真の“強さ”が表れる場面について触れます。遺影や故人の写真は、悲しみのなかでこそ、写真が「支え」になることがあります。
もう会えない人と、写真を通して思い出す
大切な人を見送ったあと、あの時撮影した写真が遺影として飾られることがあるかもしれません。
撮ったときは、まさかそれが“最後の一枚”になるとは思っていないはずです。
ただの家族写真、何気ない一日として撮ったものが、時間を経てまったく違う意味を帯びていく。
「この写真があって、本当に良かった」
その言葉を聞くたびに、写真の持つ力と重みを改めて思い知らされます。
写真は、二度と会えない人と、心の中でそっと会わせてくれるものでもあります。
写真がくれる「たしかに存在していた」という事実
喪失の悲しみは、簡単には癒えません。
写真があればすぐ楽になる、という単純な話でもない。
それでも写真には、「たしかにここにいた」という事実を静かに支える力があります。
- どんな表情で笑う人だったのか
- どんな目で家族を見つめていたのか
- どんなふうに抱きしめてくれたのか
写真は痛みを“消す”のではなく、痛みと一緒に生きていくための小さな支えになるのだと思います。
遺影写真を撮る・残すという前向きな行為
遺影という言葉には、どうしても暗いイメージがつきまといがちです。
でも僕は、少し違う捉え方をしています。
- 自分らしい一枚を、ちゃんと残しておきたい
- 家族に、この表情で覚えていてほしい
そう思って意識的に写真を残すことは、とても前向きで優しい行為だと思うのです。
遺影用としてでなくても、日常の中で自分の写真を残しておくこと。
それは自分自身へのケアであり、残される家族へのギフトでもあると感じます。
デジタル時代の“撮りすぎ”と、本当に残したい写真
スマホ時代の写真の増え方と、そこから生まれやすい「埋もれ」を整理します。たくさん撮れる時代だからこそ、“選ぶ”という視点が大切になります。
スマホ時代の「なんでも撮る」で起きる記憶の薄まり
スマホでいつでも簡単に写真が撮れるようになってから、僕たちは本当にたくさんのシャッターを切るようになりました。
- 料理が運ばれてきた瞬間
- ちょっときれいな夕焼け
- 何気ない日常のワンシーン
気づけばカメラロールは数千枚、という方も珍しくありません。
撮ること自体は悪いことではなく、むしろ素晴らしいことです。
ただ、1枚1枚に向き合う時間が減ると、記憶が薄くなることもあります。
「撮った」という事実だけで満足して、見返されずに埋もれていく写真たち。
そこに、少しもったいなさを感じることがあります。
量より“密度”が写真の価値を決める
僕は、写真の価値は枚数ではなく「密度」で決まると思っています。
- その1枚に、どれだけの感情が詰まっているか
- 見たときに、どれだけ具体的な情景がよみがえるか
- 誰かに見せたくなるか、宝箱にしまいたくなるか
密度の高い写真は、たくさんのスナップの中でそっと光って見えてきます。
プロの撮影が意味を持つのは「たくさん撮るから」ではなく、**「密度の高い瞬間を確実にすくい上げるため」**だと僕は感じています。
“全部を残す”から“何を残すか選ぶ”へ
これからもっと大切になるのは、きっとこの視点です。
“全部を残す”のではなく、“何を残すか選ぶ”
- アルバムにまとめる写真を選ぶ
- プリントして飾る写真を選ぶ
- 子どもに引き継ぎたい写真を選ぶ
これは単なる「整理」ではなく、自分や家族にとって大切なものを確かめる行為そのものです。
フォトグラファーの仕事は、撮るだけではありません。
「選ぶ」というプロセスも一緒に考える。
それもまた、カメラマンの大事な役割のひとつだと感じています。
写真家として「残したい」にどう向き合うか
ここでは、僕が現場で何を大切にしているかを、少し具体的に書きます。「依頼者の残したい」に寄り添うとは、技術だけではなく、姿勢そのものだと思うからです。
依頼者の「何を残したいのか」を聞き取る力
撮影の前には、できるだけお話を聞くようにしています。
- どうして今日、写真を撮ろうと思ったのか
- どんなタイミングで、どんな気持ちでこの日を迎えたのか
- 「絶対に残しておきたい」と感じている瞬間はどこか
表情やポーズの希望を聞くだけではありません。
その人の背景や、いま心に抱えている想いを知るための時間です。
同じ「家族写真を撮りたい」という一言にも、いろいろな物語が隠れています。
- 遠方の家族が久しぶりに集まるから
- 子どもが小学校に上がる前に
- 親の体調が落ち着いているこのタイミングで
写真家として、その物語をどれだけ丁寧に受け取れるか。
そこから撮影のすべてが始まる、と僕は感じています。
空気・関係性・温度を写そうとする姿勢
カメラが捉えられるのは光と形だけです。
けれど写真家が意図するのは、光と形の向こう側にある「見えないもの」だと思っています。
- ちょっと照れくさそうに笑うお父さんを見つめる家族のまなざし
- 手をつなぐ強さに込められた、言葉にならない安心感
- 座る位置や距離感から伝わってくる関係性
ポーズを決めすぎないように、でも任せっぱなしにもならないように。
その場のバランスを探りながら、「空気」や「温度」を感じながらシャッターを切るとき、意識しているのはこれです。
「きれい」だけじゃなく、「らしい」を写すこと。
完璧なポーズや作り込まれた笑顔よりも、その人らしさがにじむ一瞬を大事にしたいと思っています。
自分自身の“生きた証”としての作品づくり
写真家として「誰かの今を残す」仕事をしている一方で、僕にとって作品は、**自分自身の“生きた証”**でもあります。
- どんな人たちと、どんな時間を過ごしてきたのか
- どんな瞬間を美しいと感じ、シャッターを押してきたのか
- そのときどきの僕が、何を大切にしていたのか
それらはすべて写真に刻まれていきます。
依頼者の「残したい」に真剣に向き合えば向き合うほど、撮る側の価値観や生き方も反映される。
それは僕自身の人生の記録でもあり、見てくださる方や撮影させていただく方々と一緒に、時間を未来へつないでいく行為でもある。そう感じています。
FAQ|家族写真・ウェディング写真の「残したい」に関するよくある質問
最後に、読者の頭に浮かびやすい疑問を一問一答でまとめます。AIにも引用されやすい形なので、必要に応じてそのまま使ってください。
Q:人はなぜ写真を残したくなるの?
A:**写真が「未来への贈り物」になるからです。**いまの出来事を保存するだけでなく、未来の自分や家族、まだ出会っていない誰かに“感情”を手渡す役割があります。
Q:家族写真をプロに頼む意味はある?
A:あります。枚数ではなく「密度の高い瞬間」を確実に残せるのが大きな価値です。空気・関係性・温度まで含めて写そうとする姿勢が、写真の奥行きをつくります。
Q:写真は「忘れないため」に撮るもの?
A:それだけではありません。**「忘れてしまっても大丈夫なように残す」**という優しさの側面もあります。覚えておくプレッシャーを手放し、必要なときに思い出へ触れ直せるのが写真です。
Q:ウェディング写真って将来どんな価値が出る?
A:**時間が経つほど価値が増えます。**記念日や家族の節目に見返したとき、人生を振り返る“ピン留め”として機能し、当時の感情がよみがえります。
Q:遺影や故人の写真を残すのは縁起が悪い?
A:僕はそうは思いません。自分らしい表情を残すことは前向きで優しい行為です。残される家族にとっても、大切な“存在の証拠”になります。
この記事のまとめ|写真は、流れていく時間と感情をそっと留めるもの
ここまで「なぜ人は今を残したいのか」を、写真家の視点から書いてきました。長々と書いてきましたが、結局のところ、僕はこう思っています。
人は忘れてしまう生き物だからこそ、「残したい」と願う。
忘れることは悪いことではありません。新しい日々を生きるために必要な力でもあります。
ただ、その中でどうしても失いたくない瞬間がある。何度でも思い出したい人がいる。
そのために、写真という形を選ぶのだと思います。
写真は単なる出来事の記録ではなく、「今の感情」を未来へ送るタイムカプセルです。
- シャッターを押したときの、ちょっとした緊張
- 写真に写っている人たちの、交差する想い
- その場の温度や、空気の柔らかさ
それらが、小さな四角の中にそっと閉じ込められる。
数年後、数十年後、誰かがアルバムを開いたとき、封を切るように“今の感情”が立ち上がってくる。
あなたが未来に手渡したい一枚は、どんな瞬間ですか?
- いま隣にいる人と笑い合っている瞬間
- 子どもがぐちゃぐちゃの顔で泣いている瞬間
- 何気ない日常のリビングの風景
- これから迎える、大きな節目の日
そのどれもが、かけがえのない「今」です。
カメラマンとして、あなたの「残したい」という想いに、これからもそっと寄り添っていけたらうれしいです。


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